火山と最果ての島を繋いだ「全島避難」

アイキャッチ画像

小笠原世界遺産センター フォトギャラリー 硫黄島・摺鉢山

2006年秋、日本最東端・南鳥島で起きた知られざる撤退劇

太平洋にぽつんと浮かぶ「極限の日常」

東京から遥か約1,950キロメートル。果てしない太平洋のただ中にぽつんと浮かぶ、日本最東端の島・南鳥島。
一般の人が立ち入ることはできず、海上自衛隊、気象庁、そしてかつては海上保安庁の職員だけが、国の拠点を守るために駐在する「極限の日常」がそこにはあります。

観測史上最悪の危機と、下された「総員避難」

周囲に遮るもののないこの平坦な島を、2006年9月、観測史上最悪とも言える危機が襲いました。 猛烈な勢力へと発達した「台風12号」。中心気圧は920ヘクトパスカル、最大風速は55メートル。最高標高がわずか8メートルほどしかない南鳥島に対し、予報が告げたのは「高さ15メートルの高波」という非情な現実でした。島全体が波に飲み込まれかねない。駐在員の生命に危険が及ぶのは明白でした。

国が下した決断は、返還後初となる「総員避難」でした。

硫黄島が差し伸べた、2,600キロの命のバトン

しかし、最寄りの有人島である小笠原諸島・父島でさえ約1,200キロメートルも離れています。絶海の孤島からどうやって命を繋ぐのか。差し伸べられたのは、同じく小笠原諸島の西端に位置する、激動の歴史を抱いた火山の島「硫黄島」からの手でした。

海上自衛隊のYS-11航空機が南鳥島へと飛び、荒れる空の中、約1,300キロメートル離れた硫黄島へと滞在員全員をピストン輸送する。かつてない規模の離島間、総距離2,600キロメートルに及ぶ「命のバトン」が繋がれたのです。

避難直前、徹夜で続けられた「引き継ぎ」

避難が決定し、飛行機が到着するまでの限られた時間。 島に残された海上保安官たちは、パニックに陥るどころか、静かに、そして徹夜で「ある作業」に没頭していました。彼らが守っていたのは、当時の船舶航行に不可欠だった電波標識システム「ロランC」の送信局。

自分たちが避難したあとも、日本の経済水域を航行する無数の船の安全を守るため、電波を止めない。高潮に備えて精密機器や物資を高い場所へと移し、浸水対策を施す――。総員徹夜の作業は、自分たちの命を守る避難の直前まで続けられました。

主を失った島で、奇跡的に放たれ続けた電波

9月1日、全員が硫黄島へと無事に退避。 その2日後、台風は予報通り南鳥島を直撃しました。凄まじい暴風雨は滑走路や道路を破壊し、大量のさんご砂を巻き散らしました。

しかし、嵐が去ったあとの管制室で確認されたのは、ひとつの奇跡でした。主を失った南鳥島で、ロランCの電波は、一度も途切れることなく海へと放たれ続けていたのです。

極限の環境で生きる人々のしなやかな意志と、それを支えた別のはるかなる島。 都会の喧騒からはるか遠く離れた海で起きたこのドラマは、今も変わらず日本の海を守り続ける人々の、静かな誇りとして語り継がれています。

小笠原世界遺産センター フォトギャラリー 硫黄島・摺鉢山

極限の海における「緊急避難」の法理

こうした絶海の孤島や厳しい気象条件下では、時に法的にも「命の最優先」が義務づけられます。

国際法(国連海洋法条約)や国内法(領海及び接続水域に関する法律)では、台風などの不可抗力や遭難の危機に瀕している場合、外国船であっても事前の許可なく領海に進入し、港や安全な海域へ避難(寄港)することが法的に認められています。

日頃は厳格な管轄権や立ち入り制限がある最果ての拠点であっても、牙をむいた自然の前では、すべての境界を超えて「命を繋ぐためのシェルター」として機能する。それもまた、海のルールが持つしなやかな一面です。

海上保安レポート 2007年版「コラム12 南鳥島緊急措置」
「台風第12号の接近に伴う南鳥島気象観測所職員の一時島外避難について」(平成18年9月1日発表)
「南鳥島の概要」(特定離島港湾施設整備関連資料)